カテゴリー: やさぐれ投稿の記事一覧
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僕のなかの「全生園物語」(12)
僕のなかの「全生園物語」 亀井義展 「アイ・シャル・ビー・リリースト」 「声明文」について、園内では共感の声とともに批判も聞こえてきた。僕は、この先自分の身に何が起きようと、受けて立つつもりでいた。 第1センターで働ける […]
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僕のなかの「全生園物語」(11)
僕のなかの「全生園物語」 亀井義展 「ひとりの声明として」 1985年、亀井義展28歳の秋は、愉快なじいちゃんがいて、(奥さんがいるのに)愛するばあちゃんたちがいて、至福の2ヵ月だった。 その後も同世代の若い仲間たちと、 […]
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僕のなかの「全生園物語」(10)
僕のなかの「全生園物語」 亀井義展 我が青春の「さがみ奮闘日記」(2) 11月8日 チーばあちゃんと、お風呂あがりの会話。 「お風呂で大変なことを覚えてきたョ。おっぱいのことをペチャパイって言うんだってねェ……」 「おっ […]
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僕のなかの「全生園物語」(9)
僕のなかの「全生園物語」 亀井義展 愛すべきおじい、おばあとの出逢い 盲人会で2年半ほど務めたあと、僕は園内の不自由舎・第1センターへ異動となり、初めて生活介護員として働くことになった。 その頃の不自由舎は、新センター( […]
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僕のなかの「全生園物語」(8)
僕のなかの「全生園物語」 亀井義展 市川さんの思い出 市川(昇=のぼる)さんは背丈も心も大きな人で、豪快によく笑い、お酒と煙草が好きで、年齢は親子以上に離れていたが、僕にとっては「一番上の兄貴」のような人だった。 盲人会 […]
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僕のなかの「全生園物語」(7)
僕のなかの「全生園物語」 亀井義展 全生園での新生活はじまる 1981年秋、僕は仙台から東京の東村山市にある「国立療養所多磨全生園」にやってきた。園内は一度や二度足を踏み入れたくらいでは迷子になるほどの広さがあり、まるで […]
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僕のなかの「全生園物語」(6)
僕のなかの「全生園物語」 亀井義展 友との別れ── そして全生園へ 少しでも闘病の助けになれるよう、僕は今泉が入院する大学病院へ毎日のように通っていた。その途中、ふと立ち寄った不思議な本屋さん──仲間内では警察当局にも […]
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僕のなかの「全生園物語」(5)
僕のなかの「全生園物語」 亀井義展 初めての異国で知ったこと、考えたこと 1979年夏、僕は韓国にある「ハンセン病快復者定着村」にいた。 その頃、僕は仙台にある大学の学生寮で暮らしていたが、じつのところ、ひどい不良学 […]
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僕のなかの「全生園物語」(4)
僕のなかの「全生園物語」 亀井義展 「復活の日」 東京へ戻ってくる前、僕は実家のある愛知で、家族の看病と介護をしながら、働き暮らしていた。 その数年間の間に次々とやってきたできごと──自分自身の大馬鹿さ加減、ふがいな […]
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僕のなかの「全生園物語」(3)
僕のなかの「全生園物語」 亀井義展 「元職員が語る多磨盲人会」イベント用草稿 今日の機会をもらい、「自分に何が話せるのだろう」と考えてみました。あるとすれば、それは全生園・盲人会で出逢えた人たちから受け取ったもの、もら […]
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僕のなかの「全生園物語」(2)
僕のなかの「全生園物語」 亀井義展 マイ・ブルー・ヘヴン 私の青空 大好きだったチーばあちゃんは目もほとんど見えず、片足がなかった。でも、いつも明るく元気で、療友(療養所の友人)たちに囲まれていました。 ばあちゃんを […]
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僕のなかの「全生園物語」(1)
僕のなかの「全生園物語」 亀井義展 序のような──新しい始まり 2019年秋、僕は国立ハンセン病資料館・映像ホールの舞台に立っていた。20代はじめから18年近くにわたって生活介護の仕事を続けた多磨全生園から、恩人たち […]